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館長雇止め・バックラッシュ裁判の情報をお伝えします


by fightback2008
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結審を終えて 2: 情報隔離、情報操作、秘密主義

館長雇止め・バックラッシュ裁判の結審

6月6日、大阪府豊中市の男女共同参画推進センターすてっぷの館長だった、三井マリ子さんが訴えている「館長雇止め・バックラッシュ裁判」が、大阪地裁で結審しました。 三井さんは、北川悟司元市議らバックラッシュ勢力の攻撃に遭い、市もこれに屈して2004年3月末で三井さんを組織体制「強化」を名目に雇止めをしたとして、とよなか男女共同参画推進財団と市を提訴していたものです。

私は初めて裁判というものの結審を見ましたが、双方が書類を出し終えたことを裁判長が確認して「判決は9月12日水曜日13時10分からです」と伝え、終了しました。

その後、隣接する大阪弁護士会館で、全国から集まった100人を超す支援者たちは、原告弁護団から最後の主張について説明いただきました。ちなみに市から出た最終書類はごく薄いファイル。原告側からは13万字に及ぶ分厚い冊子でした。被告側からは、結局、三井さんが辞めることを了承していた、三井さんを不合格とした採用選考は公正だったという内容の主張のみで新味はありませんでした。
結審を終えて 2: 情報隔離、情報操作、秘密主義_b0159322_9582212.jpg


原告側の最終準備書面の要旨をまとめます。

原告の三井さんは全国公募によって選ばれました。1年契約の非常勤館長でしたが、実際は期間の定めがないのと同じでした。また、選考も、非常勤の三井さんが採用された時は、第一次に論文、第二次が面接とあり、三井さんの後任(昨年度末付けで辞任した)の常勤館長の採用手続きより時間もお金もかけた複雑なものでした。

豊中市は、三井館長の首斬りを実行するために、自治体の常識からは、到底考えられないさまざまな事務手続きを考え、強行していました。2003年には指定管理者制度になることは、もうわかりきっており、そのような大きな組織変動を見越して、通常なら終生務められる常勤館長に変えたりせず、非常勤の三井さんのままにしておくはずです。それを前に、わざわざ変更しました。それは、よほど三井さんを排除しなければならない深刻な事情があったからです。

被告豊中市は、準備書面で「組織変更にともなう予算確保の目処もつき、予め候補者打診をしていた」と言っていますが、実際2003年11月初めから次期館長候補依頼を行っています。その前に、市長に候補者リストを見せて、「それで当たれ」という市長のゴーサインを得てから始めたのですが、その日は10月20日でした。ということは10月中旬には予算の確保ができたということになります。ところが、2004年度予算は、11月以降に財務当局と折衝するのが通常のやり方です。つまり、豊中市の普通の予算要求を飛び越えたプロセスをしたのです。

また、すてっぷを所管する市の人権文化部長は、すてっぷの理事になっているのですが、2月1日の臨時理事会で、「市長が了承していない方を議会に上程するのは、今後の議会運営からも支障がでます」などといっています。すてっぷは財団法人ですから民間法人で、本来は市とは別組織のはずなのに、です。

また、男女共同参画推進条例もできて、すてっぷを強化する時期であり、市からの派遣職員が市に戻る時期だったから、2004年に絶対組織体制変更をしなければならなかった、つまり、三井館長はバックラッシュによる排除ではない、と被告は主張しているのですが、これについても、完膚なきまでに原告側は反論されています。

また、被告・市側は、バックラッシュ勢力の嫌がらせ行為については「市民の声」と言いつくろい、北川議員の圧力については、「議会活動の一環」などと言いつくろっています。しかし実際は、すてっぷの山本事務局長(市からの派遣職員)が、ある時期まで、「完全な右翼の活動」などと感想を述べていたことも明らかにされました。

2002年度末にあまりのバックラッシュ攻撃に危機感を持った山本事務局長がすてっぷ関係者FAXし、対策を考えようとしたのですが、それが1年後に、北川議員の手にわたり、怒って市の部長に怒鳴り込んだとされる2003年11月の事件があります。FAX事件と呼ばれるものです。それに関して、あろうことか、当の市の部長は出ないで、三井さんをはじめ女性たちだけ4人を相手に、北川議員とその仲間のバックラッシュ勢力は、誰もいない土曜日の夜、恫喝に及びます。それは、議会活動などというものではなく、「脅して畏怖させ自分の意志を通そうとするもので、行政対暴力だ」と弁護団は強い憤りをこめて説明しました。

なぜ、北川議員らがここまでしたのか。それは、条例制定に賛成したことと引き換えに三井さんの首を切る(それにより条例を空洞化させる)約束の完全履行について、念を押すためのものではないかといわれました。

そして、三井さん排除の名目とされた市の組織体制強化も、館長を常勤化するというのは名ばかりで、実際は事務局長としての仕事しかさせない仕組みにされており、桂容子さんは、男女共同参画の中身はできず管理事務しかさせてもらえなかったというわけです。これは桂さんが証人尋問で証言しました。「地域密着」をやらせるために鳴り物入りで採用したはずの桂さんに、その仕事をさせなかったのです。

その後、すてっぷは桂さんが自ら辞任し、今なお館長は空席です。弁護士の説明を聞くまでもなく、僕は何度かすてっぷに足を運んでますが、本当に見事にすてっぷは弱体化したとおもいました(「すてっぷを視察して」)。

桂さんに、市の本郷人権文化部長は、2003年12月「三井さんは常勤はできない」という虚偽の情報を与えて説得します。その後、三井さんは、雇用継続を希望し、さらに「常勤館長となる」とわかった時点で、常勤館長になる意志があると表明しますが、その後に桂さんと会った際にも、本郷部長は桂さんに「あなたしかいない」と懇願していたのです。三井さんは、当初、市から館長常勤化と言われ、その後、館長は置かないことになった事務局長職だけになると言われます。そして最後に、組織変更が話し合われる臨時理事会の1週間前になり「議題が決まっているはずだ、私にも見せてほしい」と要求してはじめて常勤館長に変わるとわかるわけですが、三井さんが、徹底的に情報から隔絶されていたことがよくわかりました。秘密主義を徹底して、隠密に事を運ばなければならなかった背景があったわけです。

こうして三井さんには徹底して情報を与えず、同時に何人もの館長候補にひとりずつ会って就任を懇願してきた本郷部長は、その後、館長採用選考委員に就任します。それだけで、館長選考委員会の不公正は明らかです。案の条、三井さんは不合格となりました。その理由もまったく合理性のない理由だったことが、弁護士から明らかにされました。

豊中市は、自分たちの保身のために、二人の女性の人生をもてあそんだのだと思いました。

税金を使って、市役所の「えらい人」が陰謀をめぐらし、現場、それも、非正規雇用者の女性が多い職場をかき回したということに、私が普段感じている日本の行政の問題点と通ずるものを、この裁判7回にわたる傍聴を通じ、見ることができました。

さとう しゅういち (広島瀬戸内新聞主幹)
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroseto2004
by fightback2008 | 2007-06-07 12:09 | 裁判情報