高橋叡子理事長は、最後まで小さな声で証言し通した
2006年 10月 05日
■山口から朝一の電車で
豊中市側証人、「すてっぷ」理事長高橋叡子さんの証言を聞かずには話にならないと、山口より朝一番の電車に乗りました。大阪地裁に着いたのは、開廷寸前の10時ぎりぎりでした。
すでに傍聴希望者満員で法廷内に入れず、廊下で待機の方もおられる中、傍聴を許されたこの私、ご報告をしなければと、さとうさん、遠山さんとは別の観点から、感想を述べます。
■その小さく、か細い声
今回は「すてっぷ」理事会のトップ、高橋理事長証言ということで、これまでの本職公務員の用意周到・巧妙な態度とは違って、普通の市民の感性による、わかりやすい証言をしてくれるのではと期待に胸をふくらませて臨みました。ところがどっこい、その声は限りなく小さく、か細く、傍聴席までまったく聞こえないではありませんか。裁判長の「もっと大きな声で」という度重なる注意もものともせず、最後まで小さな声のまま通しました。その点では、公務員以上のしたたかさ。声が小さいだけでなく、、聞き取れない発声法。まるで、肺に穴があいていて、頑張っても、声に力がはいらないような、その高い技術的な発声法には思わず感心して、メモする手がとまってしまいました。いや、聞こえなくて、何も書けなかったのでした。
■豊中市民への愛情が微塵もない
そこで証言席に座っている高橋理事長の後姿を見ながら、ぼんやりと余計な考えにふけりました。そもそも、理事会とは? 理事長とは? 彼女の証言によると、年2回の理事会にボランティアとして、勤めていたそうです。理事会の規約・事務・権限なりが、それなりにあるのでしょうが、年に2回程度の集まりで、はたしてどんな職責がはたせるというのであろうか。また、豊中市側の部長・課長・事務局長の意向に追従することしか頭になく、スタートしたばかりの男女共同参画推進センター「すてっぷ」、その主役である豊中市民に対する愛情が全く感じられなかったように思えたのは、私だけだったでしょうか。理事会とは行政と市民の間に、中立有識者として位置して、その事業がうまくゆくように最善を尽くすのが役目だと思うが、三井館長、一般市民、利用者と接触することなく、ただただ行政の幹部の事務連絡を鵜呑みにして、「適宜適切に指示していた」とのことでした。
■出資者である市に盲従は当然?
「すてっぷは市が100%出資していたから」、市に向かっては理事長として何もいえないという意味合いの証言も出ました。しかし、市のお金とは、誰によるものでしょうか? 市のお金とは広く国民・市民から徴収した税金であり、市民のために活用すべきお金のはずです。市長・部長の個人マネーをいただいているのでは決してない。市民から集めたお金であり、出資者である市民が主役なのです。この大原則をわきまえず、一人、二人の官僚の声のみを意識してポストについていたとすれば、不見識この上ない理事長としかいいようがありません。
■自らは6年間もトップに居座りながら
「一人の人が長く、同じポストにいないほうがいい」というのが高橋理事長の持論といいながら、高橋理事長自身、すてっぷ創設以来6年間も理事長職にあり、この不本意な事態に及んでも、そのポストを離そうとしていません。この感性はますます不可解であり、一般常識でははかりがたいものです。このような常識的でない人を、よりによって豊中市男女共同参画推進センターの理事長として、放任していていいのでしょうか。
最後に高橋叡子理事長の堂々としない卑屈な証言態度は、「すてっぷ」理事会・理事長の存在価値そのものを貶めるに充分であったといえます。
勝又みずえ (ファイトバックの会@岩国)