7/3報告 8: 山田・和田さんの「陳述書」によって明らかに
2006年 07月 08日
さとうしゅういちさんは、「7/3 報告」に次のように記載しています。
「自分(山本瑞枝)も入っていた『連絡会』MLについても、2003年6月18日に投稿を最後に情報提供を止めている、一方6月9日に体制変更に乗り出している、とのことについては、MLと変更に関係ないとしました。」
このあたりは、バックラッシュ側に屈服していく市の様子がわかる重要場面です。裁判で、山本瑞枝事務局長は、市と財団の準備書面と同様「2003年3月条例案上程断念は、バックラッシュによるものではない。また、バックラッシュによってなどという説明をしたことはない」などと述べています。
ところが、当時、山本事務局長は、条例を求める市民側に、バックラッシュにいかに市が困っているかを説明し、市民にいっしょにバックラッシュ対策をしてほしい、と必死にうながしていました。市民側はメーリングリストを作っていました。そのメーリングリストに山本瑞枝氏は、会員として自ら登録していたこと、しょっちゅう投稿していたこと、しかしながら6月の後半からはピタリと投稿しなくなったことを、今回、法廷で尋問されました。それを山本証人は認めざるをえませんでした。
この尋問には、山田千秋さん、和田明子さんの「陳述書」が大いなる働きをしたということです。
●甲87号 山田千秋さんの「陳述書」
●甲88号 和田明子さんの「陳述書」(添付書類3点つき)
ファイトバックの会
「自分(山本瑞枝)も入っていた『連絡会』MLについても、2003年6月18日に投稿を最後に情報提供を止めている、一方6月9日に体制変更に乗り出している、とのことについては、MLと変更に関係ないとしました。」
このあたりは、バックラッシュ側に屈服していく市の様子がわかる重要場面です。裁判で、山本瑞枝事務局長は、市と財団の準備書面と同様「2003年3月条例案上程断念は、バックラッシュによるものではない。また、バックラッシュによってなどという説明をしたことはない」などと述べています。
ところが、当時、山本事務局長は、条例を求める市民側に、バックラッシュにいかに市が困っているかを説明し、市民にいっしょにバックラッシュ対策をしてほしい、と必死にうながしていました。市民側はメーリングリストを作っていました。そのメーリングリストに山本瑞枝氏は、会員として自ら登録していたこと、しょっちゅう投稿していたこと、しかしながら6月の後半からはピタリと投稿しなくなったことを、今回、法廷で尋問されました。それを山本証人は認めざるをえませんでした。
この尋問には、山田千秋さん、和田明子さんの「陳述書」が大いなる働きをしたということです。
●甲87号 山田千秋さんの「陳述書」
●甲88号 和田明子さんの「陳述書」(添付書類3点つき)
ファイトバックの会
by fightback2008
| 2006-07-08 01:42
| 裁判情報