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by fightback2008
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「日独裁判官物語」を見て 2

一時間ほどの記録映画です。日本の裁判所・裁判官とドイツの裁判所・裁判官との比較でした。一言で言えば、日本の司法の閉鎖性・権威性に対し、市民に開かれ、開放的なドイツの司法が印象的です。
 
建物からしても、日本の最高裁は皇居の近くにあって警備にやかましく、裁判官は黒塗りの車で正面から入るのに対し、傍聴人は正門ではなく横の通用門のような所からしか入れないらしいです。

ドイツの連邦憲法裁判所(日本の最高裁にあたる)はガラスから光が入り、とても明るい所でした。裁判官がバイクで通勤するところが映されていました。法廷はフラットで傍聴人を区切る柵もありません。民事裁判所や家庭裁判所は市民のアクセスのよい商店街のビルの中にあって、子どものためのプレイルームもあります。

日独両方の裁判官の生活の違いも大変大きいものです。
日本では、官舎と裁判所との往復で仕事に追われ(一人の裁判官の扱う件数は年間200から400件)、転勤も多いので地域との結びつきというものがまったくない。
 
これに対し、ドイツの裁判官の扱う件数というものはでませんでしたが、日本よりはかなり少ないのでしょう、何より本人の意思に反した転勤はなく、地域で一人の市民として生活し、様々な活動に参加しています。裁判官組合というものもあり、組合主催で演劇をやって市民に見てもらい、司法を身近に感じてもらえるような機会も作っています。

ドイツの裁判官のあり方が変わったのは1960年代からだそうです。戦後直後は裁判所の上層部は保守的で、革新的な裁判官に対する懲戒処分があったそうで、1960年代にこのような処分に反対する動きが強くなった。ナチスへの協力の反省。市民のサービス機関としての司法というものを打ち出して変わってきたとのこと。1987年には、NATO核配備に対する抗議で米軍基地内に裁判官が座り込みをしたということもあり、さすがにこれにはやりすぎとの批判もあったが、市民の圧倒的支持があったとのことです。

日本でも1960年代は安保闘争で盛り上がった時期。司法界でも、在日米軍、自衛隊、労働争議などに関する裁判で画期的な判決が出た時期もありました。しかしその後、猛烈な巻き返しがあり、思想・信条を理由とする(もちろんはっきり理由を出すわけではありませんが)裁判官の再任拒否・新任拒否などが相次ぎ、これらの影響は今でもあるとのことです。最高裁ににらまれたら、任地上の差別、給料の差別、部総括(裁判長のこと)の指名が受けられないという差別があるとの元裁判官の言葉も紹介されています。違憲判決のような画期的な判決を出すのは、定年直前の裁判官というのはよく言われていることですからそうなのでしょう。
 
どうやって日本の司法をドイツのような司法にしていけるのでしょう。
裁判官を増やさないと、今の忙しさのままでは市民感覚を持てといっても難しいことです。転勤の多さも地域との結びつきを阻害する大きな要因でしょう。一人の市民としての生活を営めるようにすることがまずは大事なことではないかと思います。そして様々な活動に参加することに対して不利益がないようにすることでしょう。

今後導入が決まっている裁判員制度について「開かれた司法のために」とよくいわれます。市民が入ることに私は意義があると思っていますが、裁判官自身が市民感覚を持てるような方向にしていかないとだめだなと思います。そして刑事事件だけではなくて、三井さんの裁判のような対行政訴訟にこそ市民が入らないと、人権が守られる公正な裁判にはならないと思います。 


宮下奈津子(ファイトバックの会@京都)
by fightback2008 | 2007-06-26 11:17 | 裁判情報